昨日プラチナカードのインビテーションを受けて、自分が今一番求めているものかがなんだったのかが分かったような気がする。
それは「Recognition(認証)」だ。愛情でも恋愛でもない。
昨年、それから3年前に出場したビジネスカンファレンスでは、出場者に対する質問にこういうものがあった。「この大会での『Recognition』は、あなたに取ってどのような意味を持つか?」
日本語で言えば、「この大会での『受賞』はあなたにとってどのような意味を持つか?」と聞くところだろうが、英語では「award」なんていう単語よりも、この「recognition」という単語が遥かに頻繁に出てきた(このことに気づいて以来、俺も英文を書くときには真似して使うようにしている)。さすが英語は論理的な言語だと思う。本質をついている。
要は「受賞する」なんていうのは表面的な飾りに過ぎないのであり、大事なのは他者から「認証」されることなのである。
イチローがあの大観衆の前で記録を伸ばし続けるのは、大変なプレッシャーを伴う作業だと思う。
だが、それでは仮にスタジアムが空っぽだったら、それでも彼は記録を伸ばし続けられるだろうか?新記録を出しても、マスコミが一切興味を示さなかったら?恐らく答えはノーだ。
俺もなんだかんだ言って、それなりに毎日頑張っているつもりだ。
だけど、それ(生き方)を肯定してくれる人間が誰もいないということが一番物足りなかったのだ。評価されるのは結果だけ。下手をすれば、結果を出すこと自体が妬みを受ける種にもなりかねない。
本当に偉大な人間なら、信念があれば周囲のことなんてどうでもいいと言うのだろう。だが、残念ながら俺は凡人だ。
親でさえ、俺の収入が伸びている時は喜んでも、この不景気で収入が減ったとたん、転職したことを否定するようなことを言い出す。
俺が一番気になるのは、自分の生き方が本当に合っているのかどうかということだ。収入の増減が気になるのは、単に一つのバロメーターとして見ているに過ぎない。
その意味で、プラチナカードのインビテーションが届いたことはある意味、第三者から「Recognition」を受けられたということでもあるのだ。だから、たとえ会費の負担が増大しても、素直に嬉しい。このカードを持っていれば確かに特典は受けられるが、あくまでも利用の対価として提供されるに過ぎない。別に現金がもらえるわけではない。だが、自分の努力が小さな実になったという気はする。
翻訳のオーディションに必死になっているのも、要はこの「recognition」を得たいためなのだ。
だけど、これが分かったからと言って何の解決にならないことも事実。
recognitionを得られない(今後もその可能性は大いにある)からと言って、一生落ち込んで暮らす訳にもいかない。それなら自分の気持ちとどう折り合いをつけていくのか?それが今後の課題。
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